パリパリ派

日々のあれこれ

FF15をやったのだけど。

なんとなく気が向いて、発売後すぐ買ってそのまま放置していたFF15をプレイしたところ、いろいろと感想が噴き出してきたのでまとめておく。

 

 

そもそもの前段階として、私がそれほどヘビーなゲームプレーヤーでないことは強調しておきたい。ゲームをする際には、シナリオや世界観を重視し、戦闘自体は爽快にできてシナリオへの没入の一助となればよいというタイプの人間である。ゆえに、探索ややりこみはほとんどやらず、基本的には一直線に結末に向かって突き進む。

ゲーマーの人たちから見れば風上にも置けない楽しみ方かもしれないが、それでも一見プレースタイルに合わなさそうに見える「NieR:Automata」「Bloodborne」「ゼルダの伝説BoW」といったタイトルは非常に楽しくプレーできた。
碌に探索もしていないのだが、世界観に浸りながら走り回るだけで楽しかったし、その続きが見たくてどんどん進めて駆け抜けたタイトルたちである。

その感覚の下、FFXVをプレーした感想を述べたい。
まあネット上の多くの感想と同じく、多くは不満になってしまうことは先に宣言しておく。総合すると、ゲーム性自体はそれほど悪くはないのだが、各要素の噛み合わせがとんでもなく悪く、全体的な完成度が悪くなったゲームという印象だ。

 

まずはよかった点。


1.グラフィック
当然、グラフィックは非常に良い。プレー上、結構車に乗るのだが、移動中ちょくちょく遭遇する景勝地の描写は、シナリオとは関係なく眺めているだけでも楽しい。
大型ボス戦などの迫力もあって戦闘の楽しみを大きくしている。

2.世界観
世界観設定"それ自体"は面白い(多分)。
神話の戦い、人間を含んだ大戦争があり、その系譜に連なる王家の話や神凪の設定は王道だがよく作られていると思う。
星の病やシガイの設定など、きちんと回収するだけで名作になっていた可能性すらある。(まあ語り口とシナリオのせいでよくわからない上に魅力は半減するんですがね!)

 

と、このあたりがよかった点だろう。
数にすると少ないが、実際グラフィックの良さだけでしばらく旅ができる程には凄い。
間違いなく素材は一級品である。「素材は」。

 

次に不満点。
とりあえず挙げていってみよう。
シナリオが諸悪の根源と思われるので上げる話題上げる話題でシナリオに絡んでしまうと思うがそこはご容赦願いたい。

 

1.シナリオからの疎外感
とにかく主人公一行がシナリオに関わっていくモチベーションの作り方が悉く下手糞で、全くシナリオに入り込めない。

物語の初っ端、主人公が結婚のために旅立つところまではまあいい。
その後、旅の途中でいきなり首都が陥落、父親であるルシス王が死んだことが伝えられる。シナリオとしては衝撃的なシーンを演出したかったのだろうが、出てくる感想は半笑いの「は?」だ。
プレイヤーは大して父親のことも知らないし、帝国と正直どういう関係にあったのかもよくわからない。
帝国が普通に飛行艇などの航空戦力を有していること等を考えたら、ちょっと戦いの様子ぐらい遠景でも簡単に描写できるはずなのに何も起こらず淡々と知らせだけが届く(追記:一応ちょっと煙は上がってたらしい)。首都に戻ろうとして封鎖されていることが判明し、旅を始めることそれ自体はまあわからないでもないが、主人公の父親は死んでるし、それ以外も皆帰る家を失っているはずなのに全員クッソ能天気に愉快な旅路を始めるので首都陥落の衝撃は更に印象に残らないものとなっていく。

そこから始まる王の墓所巡りはなんと巡らなくても何とかなるとかいう謎の設定だし、歴代王を巡ったからと言って主人公の能力に劇的な変化が起こるわけでもない。
旅の目的がこれでもかとブレまくったところに、六神巡りが始まるが特に印象的なイベントが起こるわけでもなくなんとなく巻き込まれるだけ。神の力集めも、なんかよくわかんない巨人と戦ったと思ったら、3か所ぐらい適当な岩を探すとよくわからん雷の力とかいうのを手に入れるだけ。
この旅路でも別に対して敵に追い立てられるわけでもなく、主人公たちの会話もずっと能天気なので頑張って王の力とか神の力とか探したいという気も起こらない。
3つ目の力を手に入れようと思ったら、なんか知らんけどヒロインが死ぬ(後述)。

とにかくそれぞれ起こるイベントに対して主人公が関わっていくのが成り行きばかりで、しかも大した説明やイベントもないままに始まる。
オープンワールドで主人公の意志や目的が強く描かれないのはプレーヤーの没入感を演出するうえではよくある手法なのかもしれないが、その場合にはきちんとプレーヤーのモチベーションを主人公と同じ方向に誘導するのが必要不可欠だと思う。
多くの場合、仲間やNPCたちとの会話によって状況に説得力を持たせ、プレーヤーを誘導するのだろうが、FF15の場合それらも状況を大して反映しないので本当に終始シナリオに入り込めない。

 

先日見かけたプラチナゲームスでのヨコオタロウ氏の講演の記事がこのあたりの問題を起こさないようなシナリオメイクのやり方として綺麗にまとまっていたように思えるので参考までに載せておく。
https://www.platinumgames.co.jp/official-blog/article/12636
この講演中の「殺す」という感情に向けたゲームデザインの件など、まさに「疎外感」を取り除く一つの手法ではないだろうか。
全体の流れについてだけでなくとも、各ボスやシナリオの転換点でこういうゲームデザインをしてほしかったと切に思う。


2.キャラクターの描写と掘り下げ
これもシナリオのせいなのだが、いかんせんキャラの掘り下げが本当にびっくりするくらい行われない。なんやこいつと思ってるキャラがなんやこいつという印象のままいなくなるので、残る感想は「なんやこいつ」だ。

 

・メインパーティー
FFXVのメインテーマとして主人公パーティー男4人の絆を育む旅というのがあると思うのだが、殆ど本当に旅をしてただ駄弁っているだけなので絆もクソもない。
出会ったきっかけ等が描かれないのはまあもう百歩譲ってよしとしよう。
仮にそうしたとしても、ゲームをして、数十時間に渡って険しい旅路(大半遊んでるけど)を歩ませておいて関係性を描くイベントが碌にないのが凄まじい。
一応そういうシーンを描こうとしたと思われるシーンはないでもないのだが、悉く描写不足だ。
タイタン戦の時やイグニス失明後等、グラディオがノクティスに怒るシーンなどは恐らく「互いの在り方を信じ、ブレた時は一生懸命直してくれる」ようなキャラ造形を描きたかったのだと察することはできる。
しかしそういうのは、ノクティスのキャラクターがどういうもので、いかなる信念のもとにどう行動してきたのか、についてよく掘り下げられていて初めて意味を持つものだろう。描写上、ずっと大したことを喋らず、大した行動もしていないノクティスを操作しているプレイヤーにしてみれば、完全に言いがかりでキレてくるただのゴリラである。

そもそもの点で言えば、このキャラクターたちはクラスの中心にいる仲良しイケメングループをイメージして作られたらしいが、設計者はイケメンを何かはき違えているとしか思えない。
この感覚は各所における無駄な会話の端々からちょくちょく漂ってくるのだが、最も顕著に感じたのはリヴァイアサン戦前、ノクティスがアコルド首相との会見に臨むシーンである。首脳会談と銘打っておきながら、ノクティスはずーーーーっと仲間内と同じ口調でダラダラダラダラと喋る。普通に失礼極まりないし、緊張感もクソもない。王として云々とか色々言っといて、さらにどう考えても重大なイベントの前なのに、挙動が先生に叱られたやんちゃな中学生のそれなので違和感がとんでもない。

チャラチャラしたキャラが輝くのは「チャラチャラしてるけどやるときはやる」からだろう。ずっとチャラチャラしてるだけでは只のチャラ男であり、断じてイケメンなどではないことは肝に銘じなければならない。

 

また、掘り下げ不足で深刻な問題が生じているのはプロンプトだ。
プロンプトは元帝国人で、パスを持っているために要塞内のカギを開けることができるというシーンがまるで衝撃のシーンのように描かれるのだが、そういう伏線もクソも何もない(あるいはあったのかもしれないが全く印象に残らない)ため、本当にただ鍵を開けるためだけにその設定を追加されたようにしか見えない。
本来は、きちんとパーティー内の帝国人に対する怒り等の感情を強調し、かつきちんと仲間として一緒に頑張ってきた描写があって初めて「実は帝国人なんだ」「帝国人だろうと関係ない」が絆を描く素材となると思うのだが、その点から見てもそういう描写は全然ないので、「そっか・・・」しかリアクションを取れない。

ツイッターの同人イラストなどでたまに見かける、ゲームや漫画で盛り上がるシーンあるある漫画を本当にそのままそこだけ切り出してきたような凄まじい違和感が付きまとっているシーンとなってしまっており、ない方がいいとまで言える。
(というか、プロンプトが明ける鍵も玉座の間のもので、そんなところ開いちゃダメだろ感が強いのは相当な設定破綻だと思うのだが、他がやばすぎて許せてしまう)


・ルナフレーナ
ヒロインらしいが登場して一瞬で死ぬので本当に何の感慨もわかない。
死に際して超絶美麗な映像が流れるのだが、あんなに無の感情でこんな美麗なシーンを迎えられるのかと我ながら驚いたほどだ。
スマホが普及した世界観なのにずっと文通しかしてないせいで全然リアルタイムの状況に関わってこないし、目的も何も大して描写されないのでどういう意図があって活動してるのかとか、世界的にどういう人物なのかとか、全然感覚に入ってこない。
いや、六神と光燿の指輪の受け渡しのためだったんだろうが、なら最初から一緒についてこいよという感想になってしまう。後半要求されないのにリヴァイアサン以前でだけ神凪が要求されたのもよくわからない。
光燿の指輪も意味深なムービーで何回か出てきただけでアイテムの重要性がわからんし、普通に渡せばいいじゃねえかという感じが拭えないのだ。
後々主人公の感情を揺さぶるイベントで彼女についての回想があるのだが、正直何のために何をしたのかよくわかってないために無為な時間でしかなくなっている。

 

・アラネア
シナリオがまともなら普通に好きになっていたであろうキャラだけに残念だ。
帝国に雇われ准将として行動している女であるが、主人公一行を自分の管轄である要塞で追い詰めたと思ったら「契約の時間外だからやめるわ」とか言い出すおばさんである。
そののち、ダンジョン進入時になんとなく1ダンジョンだけ仲間として手伝ってくれるし、その後もシガイに襲われた乗客の輸送など、主人公たちを手伝ってくれる。
大方、近頃流行りの傭兵で、「金はもらったからその分働く」「自分の信念に従って見方にもなりうる」みたいな傭兵キャラにしたかったと思われるのだが、描写がなさすぎてただただ責任能力がない訳の分からないキャラクターになってしまった。
多少なりとも帝国サイドでのアラネアのやり取りを描写する等で掘り下げられたはずなのに、何もなかったので本当に存在意義がない。
冷静に考えてみるとストーリー上で果たした役割は0に等しい。
何のために出てきたキャラクターだったんだろうか。

 

・敵の将軍
ルナフレーナの兄(名前は忘れた)。出てきてもムービーの中でルナフレーナと何か無駄に意味深な会話をしているだけなのでどういう人物かまるで分らない。
わからないままに最終ダンジョンで普通に死んでおり、まるで重要な場面のように描写されるが何が重要なのかまるで分らない。
シガイとなって最後に主人公に立ちはだかり、「どうだ!見知った人間がシガイになるのは!」みたいな見せ方をされてもこちらとしてはよく知らないひとが呻いているだけにしか見えないので何の感慨もわかない。
もう少し主人公と絡ませて「敵に見せかけて実は主人公のためでした」ぐらいのところをきちんと提示しないと何の衝撃もない。

 

・主人公の父親

序盤で急に死んでいるので思い入れもさして湧かない。

一応、主人公たちが乗っている車はこの親父の車ということになっており、終盤で車が破壊された時には、車を父に重ねてその離脱を悼むような発言もある。

ただ、全くと言っていいほど道中で父親に関する言及はないし、車に対する思い入れも大して描かれないのでこれまたどうしようもない感情を持て余す無為なシーンと化している。 

 

その他、コル将軍やら、グラディオの妹やら、数多のキャラクターが無意味にちょっとだけ出てはすぐに引っ込んでいく。上記のような不満が殆どすべてのキャラクターに当てはまるのは逆にすごいだろう。

出すなら出しただけの意義を見せてくれ。オープンワールドを利用したサイドストーリー的関わらせ方などいくらでもあっただろうに、残念である。

 

3. 光耀の指輪

ヒロインが命をかけてまで渡してくれた指輪だが、登場した意図が驚くほどわからない。

ノクトが指輪をつけることをしばらく躊躇うのだが、なんで躊躇っているのかもよくわからないし、そのつけないノクトにグラディオラスがめちゃくちゃキレてパーティーの中が険悪になるのも意味がわからない。更に、帝国要塞に一人で放り込まれた途端、大した葛藤もなく普通に嵌めて「準備完了!」などとカッコつけやがる。

後々パーティーメンバーとの会話で「お前らを守るにはつけねーとな」的なことをドヤ顔で言いだすのだが、正直お前自分でビビってつけただけだろと突っ込みたくて仕方がなくなり、言動すべてにイラつくことになる。

更には、つけて使える魔法が「デス」やら「ホーリー」やらで、その演出がびっっっっくりするほどしょぼいので逆に驚ける。「ホーリー」と言う魔法から、ただ回避カウンターするだけの魔法だなどと誰が想像するのだろうか。ゲーム展開を終わらせるためだけに無理やり導入した魔法に仕方なく名前をつけただけという感じが強く、ショックは大きい。

 

この指輪が真の王になるのに必要らしいのだが、それっぽい話はうっっすーーーーーーくしか語られない上、ないとどうとか、つけるとどうとか、そういう話が全くないので本当にただの魔法が使える指輪だ。深い設定はあるらしいので、それを扱いきれなかったことが伝わってきて悲しさで涙できる。

 

4. 最終章への流れとクリスタルの中

シガイ対策にクリスタルの力が使えるかもしれないから目指したのはわかる。それが実際はアーデンの罠で、ノクトが触れた途端クリスタルに取り込まれるのもまあ意外な展開としてないではない。しかし、クリスタルの中で突然でかいおじさんとくっちゃべるだけで世界観の重要な話を明かすのはさすがにやばい。神話との関連とかアーデンの目的とか、事前に殆ど何の説明もないままここで突然明かされる。衝撃の事実というのはきちんと積み重ねがあってこその衝撃だろう。「あのおじさん、死ねないんやで」とか突然言われても困る。

更にマズいのは、「真の王の力を覚醒させるには10年かけて指輪に力を蓄える必要がある」とかいうのを突然取り込まれた後で言い始めることだ。取り込まれる前に問いかける等しておけばまだノクトが腹をくくるシーンなんかを入れて、目覚めた後の展開に説得力が出たかもしれないが、不可抗力でクリスタルに閉じ込められてから「お前あと十年この中な!」とか言われても困るだろう。

その上で、アーデンはお前の命と引き換えにしないと倒せないようなことも一連の流れで教えられるのだが、その説明に至るまでもその説明も非常に淡々と進んでいく。見ている側としては全然衝撃的でなく、「そうですか・・・」としか言えないので最終章に向けて気合が入るなんてことは全くない。

また、このクリスタル内で待機する描写も、本当にただ待つ以上の情報はない。ちょっとフェードアウトして「〜10年後〜」でいきなりお目覚めだ。プレーヤーとしては、ノクトにどんな苦悩があったのか、外界の人々にどんな災厄があったのか、何も知らず突然の10年後である。

すべての説明不足が積み重なり、最終章に至ってすらアーデンに対する恨みを募らせるわけでもなく、世界を救う使命感に目覚めるわけでもなくと言う状況に陥り、最終章でもテンションはそう簡単には上がらないものとなっている。

 

5. エンディング(つれぇわ)

つれぇのはこっちだとコントローラーをぶん投げたくなる終わりだ。

一応、うまく作っていればそこそこ感動できる場面だとは思うのだ。

ずっと無愛想で、仲間に弱音を吐かなかった主人公が、決戦前、命を落とすことになる直前、仲間にだけ正直な感情を吐露した場面なのだから、普通に考えれば感動のシーンのはずである。それにも関わらず、全く感動できないのは、やはり事前の説明が全く足りていないからだろう。

ここが感動のシーンになるためには、

「ノクトがきちんと覚悟を決めて王の力を覚醒させている」

「ノクトは辛い時でも弱気な様子は見せず、気丈に仲間を引っ張る人間だ」

「実際にノクトは死に向かうに際し、非常な恐怖と戦っていた」

などの描写を散りばめる必要があるだろう。

しかし、そんな描写も特にないまま割と淡々と最終決戦に赴くので何も感動は生まれない。辛そうな時に普通に辛いと言っただけのチャラ男にしか見えないのだ。

よくわからない本編の終わりに迫真の茶番を見せられるようなもので、正直目を逸らしたくなった。

 

以上、挙げた不満点は主にシナリオに関するものだ。各要素を見ていくと、総じてこのシナリオは作る際に「伏線」と言う概念を知らずに作ったんじゃないのかと言う疑念が浮かび上がる。

シガイの設定なんかも、きちんと伏線を貼ってようやく衝撃の事実になるものだろう。

安直に見える感動のシーンなどが感動できるのは、きちんとある程度の伏線があってこそなのだなあと再認識できた。

 

また、ゲームシステムについての不満も幾つかある。

 

6. マップが無駄に広い

本当に「無駄」に広いのだ。

というか、多分作る場所の設定を間違えていると思う。

FF15で動き回れるオープンワールドのうち、大半が平地の荒野だ。気候も変わらず、植生も大差なく、綺麗なのだが非常に飽きやすい。

せっかく国家間の話をするのに国境などが碌にないのはさすがに無駄だろう。せめて国境付近の同面積を作っておけば、まだ生態系の違いやら雰囲気の違うマップやらの用意もできて飽きない旅ができたのではないだろうか。

また、ファストトラベルも非常に不便だし、車前提の移動もストレスが大きい。

それでいて、まともな拠点らしい街は荒野の中にないに等しい。旅を楽しむとは言っても、さすがにずっと自然散策ではつまらない。もっとまともな街が複数あれば、イベントも増やせたし、状況の描写も多くできて没入感は増すように思えて仕方がない。

更に、広すぎる上にファストトラベルも不便なことにより、レベリングも正直ダル区て戦闘もしたくない。敵がいる位置まで行くのもそこから戻るのも遠すぎてしんどいのだ。この辺りはどうしたってファストトラベルに頼りたくなるところなので、もう少し強化して欲しいと思う。

 

7. ギル稼ぎ

今作の場合、資金は直接的がドロップする形ではなく、サブクエストクリアや素材の売却などが主な収入源となるのだが、これがしんどい。

普通にメインクエストを進めると資金が足りなくなるのだ。

ゲームプレーが下手と言われればそれまでなのだが、普通に面倒なので、せめて帝国兵ぐらいは倒したらそこそこまとまった額の金を落とすようにしてくれたらよかったと思う。

 

その他、話題になっていた10章以降の1本道展開については、それ自体はそれほど気にならなかったというのが本音だ。一応各章違った戦い方があったし、帝国兵の襲撃からの列車防衛などもそれ自体は悪くない。これは、FF15オープンワールドシステムがそもそもそれほど気に入っておらず、シナリオ主導で動くゲームの方が好きだからだと思う。

ただ、その1本道に持って行かれるきっかけと、道中のシナリオがつまらないし無理があるので、なんで俺はこんなことやってんだ感が壮絶に襲ってくる。

あともちろん13章はクソ。

 

以上が大まかな感想だ。

案の定死ぬほど愚痴だらけになったがこれはご勘弁願いたい。

 

 

ネット上でもFF15の評判はよくないし、実際やってみても正直萎える部分は凄まじく多かった。

どんなゲームや小説、漫画でも粗はあるものだとは思うのだが、特にこのFF15でそれが目立ってしまうのは、その粗が、素人目にも解決策が容易に思いついてしまうような類のものであることによる気がする。

上で述べた通り、訳の分からなかった要素、それぞれもう少しちゃんと説明のシーンを入れるだけで大分印象は変わったと思うのだ。それがないのが苛立ちの原因だとプレーヤー側でも如実にわかってしまうので、ついついこのように愚痴を吐き出したくなる。

自分はFFファンではなく過去作もほとんどプレーしていないので、「まあちょっと期待外れだな」程度の感想だが、きっと10年待ったファンには相当辛いものだろうと思える。

 

現在DLC配信でストーリーの補完が行われているらしいが、さすがに集金がひどいと思う。というか、本編に必要な要素をフルプライスのパッケージで語りきれないのはシンプルに怠慢だろう。

とはいえ、結末を曲げて無意味にハッピーエンドにするのは恥の上塗りだと思う。DLCでアナザーエンドが配信される(された?)ようだが、それも卑怯だろう。

別にハッピーエンドである必要はないのだ。ただ、悲劇を描くならそれ相応にきちんと描写がないと、泣けないお涙頂戴劇という最悪の産物になってしまうという話である。金がかかるのは重々承知だが、何とかして要素を回収して、まともな物語としてこのストーリーがまとまるアップデートがあるようなら、その時もう一度プレーしてみたいと思わないでもない。

 

 

 

 

コロシアイと推理講戯

先日発売された円居挽語り屋カタリの推理講戯 (講談社タイガ)を読んでいたところ、最近よく見られるタイプの推理ゲームという趣の強い作品だったので、ついでにお勧めをまとめておこうと思う。

 

どういうゲームかといえば、「ダンガンロンパ」に類するゲームで、「推理者がある程度のリスクを背負い、また正解を知っている第三者が採点者として存在する」というものだ。

ということでまずはダンガンロンパから思い出しておこう。

 

外界から隔離された空間に閉じ込められた高校生たちが、生き残りをかけたゲームに挑戦し、脱出を目指していくこのダンガンロンパシリーズで、毎度用いられているゲームの形態が「コロシアイ」である。

それも単なる殺し合いではなく、勝利条件が特別に設定されており、「誰かを殺し、かつ誰にも摘発されない」ことによってのみ脱出ができるというものだ。犯人は勝ち逃げできるわけではなく、規定された「裁判」の日まで、他の人々の捜査を欺き、裁判で「摘発」されないことが求められる。

摘発にもルールが定められており、犯人は裁判の議論を踏まえた参加者の多数決によって指定されることになっている。ここで真犯人の指定に成功すれば、真犯人はオシオキと称して処刑されるのだが、逆に誤った場合には犯人だけが脱出に成功できるというものだ。

 

一見すると最適解として「誰も誰かを殺さないで助けを待つ」という解がありそうなこのシナリオだが、そうはならずに毎回動機が生まれ、何か事件が起きていき、その過程で物語全体に通ずる大きな謎が解き明かされていくのがこのシリーズがうまく作られていると思う点だ。

捜査もシンプルで、タイトルに違わず議論の場面では「それは違うよ!」とカットインしていける論破の爽快感もあり楽しいのでぜひ1からプレイして欲しいゲームである。

 

 

1. インシテミル (米澤穂信)

 まずはこちら、ダンガンロンパの着想の元という噂も聞く「インシテミル

インシテミル (文春文庫)

インシテミル (文春文庫)

 

 この小説におけるゲームのルールはwikipedia:インシテミルに詳しいが、おおよそまとめると、登場人物たちはとある実験のモニターとして謎の建物に閉じ込めるのだが、その中では時給制の超高額な報酬が発生しており、しかも誰かを殺せば総額が2倍に、その犯人を指名すれば3倍に、しかしペナルティももちろんあって犯人が指摘されると報酬は激減してしかも収監されるというものだ。

 丹念に作られた「本格もの」らしいトリックが数多く仕込まれており、しかも古典的な名作を模した殺し方やギミックが出てきたりと、ファン向けの一冊となっているが、同時にあまりミステリーに触れたことのない人でも色々なトリックなどに触れることがてきて面白い、とっつきやすい作品だと思う。

 

ちなみに映画も藤原竜也主演のがあって、藤原竜也はまあいいんのだが、原作を読んでからだと余計な改変っぽいのがたくさんあって評価を劇的に落としてるので見るなら読む前をお勧めする映画となっている……

インシテミル 7日間のデス・ゲーム [DVD](右下のインディアンの存在感がすごい)

 

 

2. 名探偵の証明 密室館殺人事件 (市川哲也

 続いてはこちら。「名探偵の証明」シリーズ2作目。

名探偵の証明 密室館殺人事件

名探偵の証明 密室館殺人事件

 

ミステリー小説の利点として、シリーズものの続編でも、どこからでも読めるというのが多いというのが挙げられる(綾辻行人の「館」とか)と思うのだが、このシリーズは多少前作を把握しておいたほうが楽しめるかもしれない。

と、いうのも世界観に特徴があり、特殊な人間として「名探偵」というのが一般的に認められているものであり、それを念頭に置いていないとやや戸惑うかもしれないからだ。

 

さて、中身に入るとダンガンロンパインシテミルでは、舞台自体を作り上げた「黒幕」を考えるのも一つの大きな謎になっているが、この作品は少し違う。

この作品では、参加者たちがミステリー作家の拝島に集められ、彼女の作った ”ミステリー” の登場人物として殺人が行われるのだ。そして、例によって解決はきちんと行われる必要があり、その正誤は全て仕掛け人である拝島によって判定される。

主な違いは、多数決で「犯人を決めること」が目的なダンガンロンパなどでは、犯人の指名にさえ成功すればその殺害方法やトリックは誤っていても良かったのだが、「密室館」では犯人に辿り着く論理が必要となることにあるだろう。

これにより、「名探偵」という概念がより活きる形に進化していると感じられた。

また状況設定全体に対する謎やどんでん返しも十分に準備されており面白い。

(残念ながら1作目*1はつい先日文庫化されたものの、今作はまだ文庫化されていない)

 

 

3. 語り屋カタリの推理講戯 (円居挽)

 さて最後に持ってきたのは、最初に言及したこの小説だ。

語り屋カタリの推理講戯 (講談社タイガ)

語り屋カタリの推理講戯 (講談社タイガ)

 

先に「密室館」は少し趣が違うと言ったが、この小説はそれよりもさらに違う。

この物語では、参加者たちは初めからゲームに参加しており、しかもそれは殺人ゲームというよりは謎解きゲームに近い。

参加者たちは数人ずつある空間(館だったり庭園だったり)に閉じ込められる。その空間には解くべき「謎」が存在するか、あるいは作られ、それを解いていく様子をエンターテインメントとして視聴者に放送しているというものだ。

この「謎」にはミステリーの流儀に乗っ取った「5W1H*2の属性が設定されており、何度もゲームに参加してその6種の謎を解くことがこのゲーム全体の目的となっている。

面白いのは、参加前には発生する謎の種類はわからないので「謎は解けたがもう How は取ってるからこのゲームは戦わない」などの行動をするものが現れることだ。それにより、参加者たちの行動に幅が出ており、面白い構造になっている。

 

このゲームに参加した少女「ノゾム」が各ゲームで度々「カタリ」と名乗る謎の男に出会う。彼はもうクリア間近なのになぜか謎を解こうとせず、謎について講義をしてノゾムを手助けしてくれるのだ。自らのクリアを目指して謎を解きながら、探偵として成長していくノゾムとともに謎の人物カタリを眺めるのがとても楽しい作品だった。

これだけではただのハートフルストーリーのようだが、運営側の思惑や、各自がゲームに挑む理由など、多角的に面白さが演出されており、読んでいて飽きないしラストもそう陳腐に終わらないもので面白かったと思う。

 

また、これだけ聞くとゲームの要素が全面に押し出されており「カイジかよ」という印象かもしれない。しかし小説内で生じる謎の多くは殺人であり、しかも各ゲームに参加する人数は数人で、一定の空間に閉じ込められている為、各々の問題はある種のクローズドサークルにおける殺人事件的になっていて、先に紹介した作品たちが思い出されたのだ。

 

 

 

なんとなく思い出されたのは以上3つ。

是非、どれか一つでも気になったら読んでみて欲しい。

 (この手のは沢山あるので有名なところを見逃してそう。そのうち足したりできるといいなと思う)

 

 

 

*1:名探偵の証明 (創元推理文庫)

*2:When, What, Where, Why, Who & How done it.

村上春樹とウニの話

巫山戯たタイトルだが、私にとっては大真面目だ。

f:id:norikuttenorinori:20171222010804j:plain

高級でありながらものすごく苦手で全く楽しめないもの」という点で、私の中の村上春樹は海の中に住む黒いトゲトゲと全く同じものと言っていい。

そんな話をゆるりと書き連ねてみたいと思う。

先に言っておくがこの例えのために名前を出しただけで村上春樹にはあんまり関係がない話をするので悪しからず。

 

どうしてこんな話を始めたかといえば、Amazonで本を漁っていた時に

謎解きばかりで人間味がない。私にミステリーはわからないと思った。☆1

というスーパーゴミクズレビューを見つけてしまったからだ。

この「じゃあミステリー読むなよ・・・」の一言に終わるレビューをわざわざ商品を選ぶところに書き連ねる感性について考えてみよう。

 

もしこのレビューのクソさがわからない人がいたら、こんなレビューを考えてみるといい。

このカレー屋、有名だったので来てみましたが私はカレーが嫌いなので食べられませんでした。☆1

なんとなくカレーが食べたいと思って調べてこんなレビューを見つけたら、検索に使っていたスマホをぶん投げたくなる気持ちがわかるのではないだろうか。

 

安直に考えればこのタイプの人々は斜に構えたがりの、こじらせた厨二病患者だと思うのだが、そうではない。

この人たちは本当に大真面目に読んで本当につまらなかったのだと思うのだ。

それを大真面目に感想として述べているのだろう。

 

問題なのは、この人たちが自分の感性を一般的・絶対的なものとして考えていることだ。これは、「文学などについては絶対的な『良いもの』が存在する」という思い込みに端を発しているのだと思う。

 

 「純文学の良さがわからないのは感性が鈍い」みたいな風潮を感じたことはないだろうか。

代表例として挙げたいのがタイトルにもある通り、村上春樹である。

新刊が出れば書店にはタワーが出来上がり、ノーベル賞の時期になれば毎年候補としてお祭り騒ぎだ。押しも押されぬ文学の第一人者。文学を嗜むのであれば彼の著作は網羅して一家言持っておくべきであるとさえ言える。

まさに『良いもの』の代表例だ。

 

だが、私は村上春樹が苦手である。

半分嫌いの域に踏み込んでいる程度には苦手なのだ。読み始めて数ページで恐るべき倦怠感に襲われ、得体の知れない消化不良感に苛まれ、迫り来る睡魔と格闘する羽目になる。

誤解して欲しくないのは、この「苦手」は自分に端を発していて、村上春樹の本自体が悪いと言っているわけではないということだ。

この「苦手」は子供が「苦いからピーマンなんて嫌いだ!!」と喚くのと全く同様で、美味しい食材でも嫌いな人がいるように、良い文章でもどうしても受け入れられない人がいるということを表している。

特に、世間に賛美されている点において村上春樹の小説は文芸界の高級食材と言って良いだろう。しかしながら、高級な食物でもどうしても苦手に思う人がいるように、彼の小説もどうしても苦手に思う人がいるのだ。

そのイメージが私にとっては完全にウニなのだという話である。

(好きな人には超高級ですよね。ウニ。気持ち悪くて食べられないんですけど。)

 

ここで主語を極端に大きくしていくと、どうにも世の中「いい・悪い」と「好き・嫌い」を混同している人が多いのではないだろうかという話ができる。

食べ物が嫌い」は許されるのに、

ある作品が嫌い」というとすぐに喧嘩である。

「嫌い」なんてまあそいつの趣味が悪いんだから仕方ないのだ。確かに楽しんでいる側から見ればセンスがないしもったいなく見えるかもしれないのだがこれはどうしようもないことだろう。生まれつき辛い(からい)食べ物が苦手な人間がいるのだから、生まれつき辛い(つらい)話がダメな人間もいようというものである。

 

また問題は「嫌い」を発する側にもある。

何故か「俺が嫌いなのだからこれは『良くないもの』だ」という文脈で貶し始める人間がいるがこれはいただけないだろう。

「嫌い」なのはそいつ自身でありその感受性なのだから、『良くないもの』として語るのならば己に依存しない作品自体の技量や技術について語るべきだと言える。まして言うまでもないことだが「俺が嫌いなこんな作品を好きなやつはロクな人間ではない」というようなことまで言い出す輩は論外である。

 

つまり

「この話は面白くないから良くない」

ではなく

「この話はこういう点が『私には合わないので嫌いである』」

もしくは

「この話はこういう点について『技術的に足りていないので良くない』」

として語るべきだと思うのだ。

 

この辺り、きちんと弁えられるようになれば良いものは良いとして紹介できるし、「私には合わないけどこういう点が好きな人には合うかも」という建設的な話題づくりができ、より一層楽しめるのではないかと思う。

 

実際始めのレビューの話に戻れば、レビューは本来的にはのちの購入者が参考にできるように書くべきものであり、そう考えればレビュアーの個人的な主観の比重を下げ、もっと中身の技法などの議論について言及すれば良いことがわかるだろう。

もうちょっとまともな書き方が世間に浸透したら、今では邪魔でしかないレビュー機能ももう少しまともに見えるのではないかと期待している。

 

連綿と不平不満を書き連ねて来たが、動もすれば己に跳ね返りかねない内容ばかりだ。

 

というより何度も感情だらけの不平不満を述べているしなんならこの文章自体も感情だけで書いているものなので自己撞着の極みといったところだろう。

考えていたらエラーを吐きそうだ。

ミステリアスメインディッシュ

 

事はこの間友人に「理由あって冬に出る」という小説を紹介したことに端を発する。

 この小説は創元推理文庫の名に違わず、学園ものの日常の謎ミステリーであり、とある市立高校で起こるちょっとした謎を、主人公の葉山くんと、探偵役の伊神さんが解いていくものだ。殺人事件は起こらず、ミステリーに馴染んでいない人でも容易に読めるような学園ものとしての趣きが強く、あまり本を読まない友人に本を勧める時には割とよく選ぶ一冊だ。

「小説って身構えてたけど読みやすくてよかった。他も読んでみたい」(17歳・男性)

「ラストまで一気に読めた。殺伐としたのを想定してたから意外だったけど面白かった」(22歳・男性)

など、私が本を勧めた人からも喜びの声が上がっている。

 

さて、この本を例によって友人に勧めたところ、その友人から帰ってきた反応は少し想定と違っていた。

これ、ミステリーじゃなくて良くない?

というものである。 

 ちょっと虚をつかれたが、これに関して少し納得してしまった部分があったのだ。

 

誤解のなきように言っておくが、「理由あって冬に出る」はれっきとしたミステリーだ。トリックの仕掛けられた校内の見取り図が載っていたり、動機と犯人が二重になっていたりする、古式ゆかしきミステリーの作法に結構則っているし、その謎自体も読んでいて楽しいものだ。

 

それでもなお、ミステリー的な部分を否定する言葉に対して頷いてしまったのは、この本がミステリーじゃないからではない。

何かミステリーのオススメを教えて

と言われた時にこの本を勧めてしまったからである。

 

つまるところ、普通「ミステリーを読みたい」といった時、その人が想定するメインディッシュは殺人事件なんじゃないかという話だ。

 

実際のところ、ミステリーというカテゴリは広く、殺人・日常の謎に始まり、怪奇現象の解決、泥棒、詐欺事件に電脳ものまで、ありとあらゆる要素とつなぎ合わされる。

これらの中で、一番メインディッシュに想像しやすいのはやはり殺人なのだと思う。

ここに動機の面だったり、舞台設定でSF、ファンタジー、青春などいろいろな味付けがなされていくものが多いのだ。

 

考えてもみよう、日本で一番有名なミステリーといえば、

そう、名探偵コナンだ。 

 漫画だが、ミステリーとして一番触れられる機会が多いのは間違いなくこれだろう。

そして、ここに関わる事件といえばやはり圧倒的に殺人なのだ。

たまに少年探偵団のほのぼのとした日常の謎が入ったり、ちょっとした青春の話が入ったりするものの、作品を代表する事件といえばほとんどが殺人事件である。

あまりの殺人事件の頻度に「死神はコナンなのでは」と言われるほどに殺人事件が起きまくるこの漫画だが、これはやはり殺人こそミステリーという考え方が大きいからではないだろうか。

 

そんな中、「お勧めのミステリーを教えて」に対して日常の謎を選んでしまったのは私の失策だろう。

 

言うなれば、

「ホラー映画教えて」と聞いてジュラシック・パークを勧めたり、

シューティングゲーム教えて」と聞いてモンスターハンターを勧めたりするようなものだ。

間違いなくその要素は含んでいるのだが、聞いた側は腑に落ちないのが正直なところだろう。

「ミステリー」の初手で日常の謎をチョイスするのはこういった行き違いを招くのだと感じたのだ。

 

特に小説など、嗜好による部分が大きいものについて人に話す時には、この辺りの齟齬をなくすように心がけたいと思った出来事だった。

 

 

セイレムとクトゥルフの覚書 2

さて、本題たるセイレムの中身の話をしていこう(前回の続き)

 

norikuttenorinori.hatenablog.com

 

 

面白かったポイントは

消化不良を感じる点は

  • 屍鬼など、死者についての扱い
  • キャラクターたちの行動(主にサンソン・マシュ)
  • 結局割と投げっぱなしな神話的要素

さらに、ちょっと気になる点として

が挙げられる。特に、消化不良な点は多く、終盤も唐突に訪れるためTwitterで見かけた「プレイヤーが探索に失敗して、謎が全然解けなかったTRPG」という表現が非常にしっくりくるものとなっている。

各々の要素について少しずつ触れ、まとめていく。

 

 

良かった点

まずは良かった点を挙げていこう。

 

・フィールドの狭さ

f:id:norikuttenorinori:20171205003322p:plain

(セイレムのマップ。一つ一つの建物が見える)

ここまでの1.5部、新宿・アガルタ・下総はいずれも広い地域を主人公たちが狙う敵に向け探索していく、或いは追い立てられて逃げ回るものだった。そのため、「特殊な世界を冒険する」という要素は強まり、ファンタジックなものとなっていた。

これに対してセイレムは、小さな村セイレムから出られないため冒険譚としての要素は薄い。しかし、この狭い範囲に限したことで、「特異点の原因を持つ人物を探る」というミステリーとしてのテイストが強まっており、作中の事項について「考える」余地を広く生んだように思った。もともとミステリー好きの私には非常によく馴染むものだったし、考察好きの人々には深い考察が生まれて楽しめた原因だろう。

(これは良い点でもあり、同時に悪い点にもなってしまったわけだが)

 

 

魔女狩りと「演じる」という行為

f:id:norikuttenorinori:20171205004303p:plain(判事。ウザい)

元ネタであるセイラム魔女裁判の通り、この物語においても人々は狂い、隣人を疑い、告発していく。狂乱した人々の告発には無実の人々も続々と含まれていき、異端のものとして絞首刑に晒される。この疑いの目は主人公たちにも向くわけだが、主人公たちは元々魔術を使えるため必然的に嘘をつくことになり、清廉な旅芸人をよそおうことになるわけだ。

村人たちからすれば「魔術を使えるものは魔女。見つけて殺すため裁判を行う。」

主人公たちからすれば「魔術は使えるが、殺されないために一般人を装う

そして探される魔女からすれば「己の目的を持って村人を殺す

という状況が生まれ、各々が各々の腹を探り合う。

特に「隠れた敵の正体を探るため、怪しいものから順次処刑が行われる」、「特殊な力を持った人間の味方は、安易に正体を明かすことができない」あたりは人狼ゲームによく似ているだろう。(人間の味方を殺すのが村人だったり敵役だったりと異なりはするけども)

f:id:norikuttenorinori:20171205003655j:plain

幻冬舎人狼ゲーム。カードなしでできるゲームなので使ったことはない)

この空気感が物語に「発言を間違えたら死ぬ」ような緊張感を与え、話を引っ張る原動力になっていたように思う。

惜しむらくはソーシャルゲームゆえに発言ミスは生じない構造になってしまっていたことで、この辺り選択肢できちんと分岐するゲームでやりたかったと思うポイントの一つとなっている。

 

さらに、この「演じる」というのはこの章の非常に大きなテーマになっていたようだ。そもそも主人公たちは劇を「演じる」ことになるわけだが、終盤で実は村人たちは「魔女を忌む村人」としての役割を「演じて」いたことが明らかになり、特異点そのものが「演じる」舞台となっていたことがわかる。この辺りに気をつけて読み直してみるともう少し伏線が張られていたのかなと思う。

 

・不穏さの演出

今回の話で外せないのがクトゥルフ神話的要素だ。このテイストを上手く仄めかすことで舞台上の不穏さが盛り上がっていたように感じられた。

Fate空の境界などの先行作品が魅力的な点として、日常の中に潜む魔というか、暗躍する不気味なものを描いた「伝奇小説」としての色合いがよく残っていることが挙げられると個人的に思っているのだが、セイレムではその伝奇的な「日常と魔」の雰囲気をクトゥルフの要素を用いることで演出されていたのが良い点なのだと思う。

もともとのラヴクラフトの作品が日常から狂気に堕ちる、あるいは日常の世界に外的ななにかの作用を受けるといったもので、多少伝奇の側面を持つこともあり、伝奇的要素としての味付けに一役買っていた。これは、魔術を使うことが当たり前になっているFGOの世界で伝奇を演出する上で非常に上手い方法だったのではないだろうか。

 

 

腑に落ちない点

次に、微妙だった点について。疑問として書くところには、単純に自分が読み逃しただけのところもあると思うのでそういう時は目をつぶってほしい。

 

・食屍鬼とは

単純に先に「死体蘇生者ハーバード・ウェスト」を読んでしまったために期待値が上がっていたせいなのだろうが、この「食屍鬼」について結局数多くの疑問が投げっぱなしになったように感じられた。食屍鬼は魔神柱ラウムが、アビゲイルの覚醒のため、何度も魔女裁判を繰り返す「役者」として作られたものだった。

この死者の再利用現象の再演は、空の境界の小川マンション*1に近い発想ではないだろうか。矛盾螺旋荒耶宗蓮はマンションを結界として作り上げ、 その中で繰り返される死の螺旋で根源への道を開こうとした。ここで繰り返された死が繰り返される様子は「死んだはずの人間の生活が続いている」という謎として提示され、両親を殺したはずの主人公の恐怖として物語を引っ張った。

f:id:norikuttenorinori:20171205003214j:plain

(小川マンション。内部は住人の精神を責める構造になっている)

この謎に対し、矛盾螺旋では、「繰り返される死は、宗蓮により脳だけ集められ生かされた人々の意識が仮初めの肉体により演じていた」という解決に加え、「実は語り手もその仮初めの肉体の一人だった」という形で盛り上げられる。

しかし、セイレムでの死者の復活は、散々謎として提示しておきながら「実はみんな元々死んでました。繰り返したかったので復活させました」と、具体的には何も述べない非常に雑な解決(?)がなされてしまい、そこに何のギミックもなかったというのが非常に肩すかしな印象を与えている。また、たとえこの解決にしても、もう少し犯人を示す伏線を張ったり、なんらかの条件を設定することでより面白くできたのではないかと思えてしまう。

実際のところ、食屍鬼が登場する「未知なるカダスを夢に求めて」などでも割とその蘇りあたりのメカニズムなどはふんわりしていたのだが、序盤から「サーヴァントといえどこの領域で死ぬのはまずい」ということを散々印象付けておきながら、死者の蘇りについて大した説明が行われないのは非常に片手落ちなのではないだろうか。

  

・キャラクターについて

複数のライターの合作の形になるFGOではままあることのような気がしないでもないのだが、キャラクターの行動原理にブレが生じていたり、そもそものキャラクターの導入が非常に曖昧になっている部分も気になった点である。

まず第一に挙げられるのはサンソンだろう。死刑執行人である彼はこの裁判と処刑がテーマに根ざしたこのセイレムにもってこいの人材であることは間違いない。処刑すること、されることに思い入れがあるのも頷ける。序盤こそ彼は経験を生かし、判事との交渉や説得に一役買ってくれる。しかし、途中から彼は単独行動で判事と行動を共にし、結局はそのまま異端として処刑されるというよくわからないことになる。なんとこの間のサンソンの行動についてはほとんど説明がなされないし、処刑も回避する方法があるのになぜかそれを受け入れず、普通に死ぬ

f:id:norikuttenorinori:20171205004248p:plain

ダンガンロンパしてそうな顔のくせに何あっさり認めてんねん)

いや、確かに処刑に思い入れがあるかもしれないのはわかるし、彼なりの哲学で処刑をごまかすことを許せないのかもしれないというのもわかる。実際それをほのめかしたいんだろうなあという雰囲気の迂遠な描写はちょっとあった気はする。しかし、全然主人公たちに説明しない理由はわからないし、あまりにも自己満足的で理解に苦しむ。

結局最後にカルデアに戻ってきてさも当たり前のような顔で後日談に参加し、深い示唆的な話だったような雰囲気を出してくるが、流石にそれでお茶を濁されても困るというのが正直な感想だ。

 

第二に挙がるのはマシュ。終局以来、満を持してのストーリー参加となったわけだが、行動がよくわからない。魔術が使えなくなったために1.5部は参加していなかった(多分)はずだったので、ものすごく危険っぽいセイレムに普通についてくることに割と疑問が生じてしまう。

f:id:norikuttenorinori:20171205005028p:plain

(魔術使えないのに来るのはさすがに無理では・・・?

更に、その状態でありつつ、また村じゅうに危険があることがわかっている状態で普通にカーターにホイホイついて行って行方不明になるのも戴けない。ティテュバの正体を明かす展開の都合上無理やり加えられた行動という感じが否定できず、違和感が強くなっている。

また、ロビンが妙に機嫌が悪い点や、哪吒の参戦の唐突さも疑問となっており、まともに物語に対して参加していた印象があるのはマタハリとキルケーぐらいなんじゃないかという感覚となっているのが勿体ないと思う。

 

・神話的要素の落とし所

〇〇らしくない」というのと「新しい試み」というのはしばしば共存してしまうもので、上手く折り合いをつけることは難しい。

FGOの中でも良いシナリオと名高い7章のメソポタミアを見直してみると、あれもよく考えてみれば今までのFateとは大きく異なるものだろう。ボスを倒したと思ったら世界を産んだ神様が顕現して、異形のモノに人間が喰い殺される世界観は、「英霊との聖杯探索」という視点が主だったそれまでの話とは一線を画し、「らしくない」ものだった。

f:id:norikuttenorinori:20171205003006j:plain (ラフム。怖い)

しかし、守護者としての「英霊」という設定を上手く使い、世界が崩壊に至る混沌と、今までの「魔術」についての話題を結びつけ、さらにはエレシュキガル・マーリン・山の翁たち名だたる英霊たちの特殊な支援によって「英雄達と世界を救う物語」としての面白さを強く押し出して新しさの実現に至っていたように思う。

 

 一方のセイレムで新しい試みとして導入されたのは、創作上の神話、クトゥルフ神話だった。これを外乱として導入することで魔術が元々ある世界観に対して新たな不気味さ、未知の雰囲気を醸し出すことに成功しているのは前述の通りであり、これは7章の後半の世界崩壊と同様の効果で盛り上がりを演出している。

しかしながら、このクトゥルフ神話の要素、「得体の知れない強大なものが現れる」という雰囲気は、結局普通にアビゲイルに乗り移ってちょっと強いだけのボスとして出てくるだけだったというのがなんとも口惜しい点だ。「魔術世界の崩壊」みたいな煽りをしておきながらコレでは、正直危機感もないし、拍子抜けもいいところだ。

Twitterではこの拍子抜けっぷりを、7章の展開を踏まえて「ゴルゴーンを倒して終わるメソポタミア」なんて言い方をされてしまっていたりする。実際、アビゲイルを倒した上で、召喚されてしまったクトゥルフの神の圧倒的な力で7章のような世界の終わり的展開が来ることを予想していたプレイヤーも多かったのだろう。

単に新たな要素を取り込んだだけで、やっていることは普通のクトゥルフ神話TRPGのようになってしまったため、悪い意味での「らしくなさ」に化けてしまったように思えるのが残念だ。

事前に「ボリュームが多い」という情報が開示されていただけに、より大きな展開が期待されてしまったのだ。もう少し小さくまとまるイベント的なものなら落胆も少なかったのではないだろうか。

 

楽しい考察ポイント

最後にちょっと想像するのが楽しかったので、プレイ中に考えていた魔術観とクトゥルフ神話の話題を書き留めておく。

 

・ウェイトリー家

7節ではラヴィニアが魔術師の家系であることを告白するシーンがある。

f:id:norikuttenorinori:20171204232827p:plain

それによれば、ウェイトリーの家は錬金術に端を発した魔術師の家系で、"外なる神"の降臨を目指す一族だという。

このウェイトリー家、元々ラヴクラフトの小説の登場人物で、そこではラヴィニアがなんと"外なる神"の子を産んでいるのだ*2

小説内では実際目的があって身篭ったのかは定かではないのだが、この魔術への取り込みは非常に面白い試みだと思う。すなわち、「根元に至る過程で、神話生物の降臨を目指す魔術師がいる」という形でTYPE-MOONの魔術師のカテゴリに違和感なくクトゥルフ神話の人物たちを導入できるように思えたからだ。実際、時計塔には「降霊科」があることを考えれば、ここにクトゥルフの研究者もいるのではないかという想像が膨らむ。

しかし、この想像は裏切られてしまった。

f:id:norikuttenorinori:20171204234415p:plain

なんと"異端"なので侵入されると魔術の体系に綻びが生じるらしい。

やばいので教会の代行者とかにも支援を頼むらしい。

「いや、教会から見たら魔術教会も異端なんじゃないっけ?

という疑問が吹き出してしまったのは期待を裏切られた悲しみによるものなので許してほしい。(「異端」という言葉のチョイスが良くないと思う。魔術体系が壊れる設定ならそれはそれでいいのだけど)

実際のところ、ウェイトリー家はFGOの世界上でも創作上の人物たちだったという設定のようだ。悲しいことにTYPE-MOONの世界にユグ=ソトースを召喚する魔術師はいないらしい。面白い設定だと思うのでどこかで導入されないかなと密かに期待したい。

 

ランドルフ=カーター

もう一点の考察ポイントは最後に出てきた本来のカーターについてだ。カーターもラヴクラフトの小説の登場人物で、そちらでも異世界の扉を開き、各世界を旅している*3

f:id:norikuttenorinori:20171205000110p:plain

異世界……というか、世界の移動という点ではTYPE-MOONでは外せない話題として「第二魔法」が挙げられると思う。「平行世界の運用」がこの魔法であるとされているのだが、この魔法を使うおじいさん、ゼルレッチ翁の描写をstrange Fakeなどに見る限りでは、本の形に綴られた世界を俯瞰し、異なる展開を見せる世界線の中からより良い世界を運用しているようだ。世界を俯瞰する人物がいる場合、このカーターの挙動はどのように映るのだろうか、というのも面白いと思う。

f:id:norikuttenorinori:20171205002707p:plain

(FGOでは礼装で有名なおじさん。持ってないので拾い物画像。カレスコほしい)

ゼルレッチ翁の世界運用が魔術的なものであるとすれば、クトゥルフ世界が魔術体系の外にあるということを考えるとカーターの世界移動はゼルレッチの眼には映らないものとなるようにも思える。

この場合、既存の世界にからの脱出は、魔術世界において"魔法"ではないのだろうか、と考えてしまう。

 

 

などなど、色々考えてまとめられるほどにセイレムは楽しい物語だったと思う。ただ、やはり要素の多さに対して展開に対する疑問や、回収の乱雑さなどが目立ってしまい、イマイチの出来に感じられてしまったことは否めない。

まあ、これをきっかけにクトゥルフ神話及びラブクラフトの著作を読もうと思えたし、読んで楽しみが深まったので個人的には得るものが大きかった話だった。

 

ありとあらゆる知識の浅いにわか仕込みの文だがこの駄文を叩き台に色々話が弾めばこれ以上の喜びはないので、読んだら人がもし万が一いれば思い思いの想像と感想を語ってほしいと思う。

 

FGOについては年末にイベントがあるだろうし、また来年配信されるであろう2部を楽しみに待とうと思う。

*1:空の境界(中)「矛盾螺旋(上・下)」

*2:ラヴクラフト全集 5 「ダニッチの怪」

*3:ラヴクラフト全集 6 「ランドルフ・カーターの陳述」など

セイレムとクトゥルフの覚書 1

FGO1.5部の最後、「異端なるセイレム」をプレイし終えたので雑記を。

 

f:id:norikuttenorinori:20171203223140p:plain

 

始まる前、予告の段階から「人狼っぽい」「クトゥルフ神話っぽい」といった憶測や、発表された「劇中劇」の言葉から、「TRPG的な話では」といった期待が寄せられていた。

実際、いずれの要素も兼ね備えた物語であり、配信が分割で行われたことにより考察の時間が与えられたことで非常に深読みが捗り、楽しく読み進められたのだが、広げた風呂敷を畳み損ねた感が否めない急な終わりを見せてしまった為に不完全燃焼感が残っている。

だが、その分「まだ残りの配信があるんじゃないか?」と言われるほど考察の種には満ち溢れているのでちょっとだけ気になって面白かったなという部分や、元ネタについての知識をちょっと記しておきたい。TYPE-MOONにも歴史にも神話にも造詣は浅いので突っ込みどころ満載にはなるが容赦されたい。

 

 

舞台「セイレム」

今回の特異点はアメリカ東海岸の町、ボストンにほど近い港町だ。

f:id:norikuttenorinori:20171203224356p:plain

(セイレムの周辺。もちろん行ったことはない。ありがとうグーグル先生)

全力でウィキペディアに頼って行こう。

有名なのは「異端なる」の章タイトルに違わず「魔女狩り」の歴史。今では主要な観光資源になっているらしい*1。それでいいのかセイレム。

この魔女狩り、「セイラム魔女裁判*2」では、実際に200人以上が告発され。20人以上が死亡したらしい。村人同士で疑いあい、無実であろうと互いに告発しあったという狂気の事件が今回の題材だ。

この歴史上の事件で重要な役割を果たした……というか、最初の「悪魔憑き」として名前が挙がる少女アビゲイル*3はゲーム内でも中心人物として関わってくる。この少女、ゲーム内だとまあ無邪気な子供なのだが、実際の歴史では自分が最初の悪魔付きになったのをきっかけに、故意かはわからないが村人を告発しまくって相当の人数を殺している結構エグい女だ。ともにゲーム内に登場する召使いのティテュバアビゲイルの家の奴隷であり、彼女が悪魔付きとなったきっかけの魔術を使ったとして告発されている。(しかしティテュバは処刑されなかったらしい。なんでだ)

f:id:norikuttenorinori:20171203232012p:plain

(この右の少女がアビゲイル。タイトルから出るので当然重要人物)

 

 

 

クトゥルフ神話*4ラヴクラフト

とっても有名な創作の神話。H・P・ラヴクラフトとその友人ダーレスたちによって作り、まとめられた神話体系で、できたのは20世紀と非常に最近だがシェアドワールド的な運用のしやすさから、現代に至るいろいろな作品でも元ネタとして使われていたりする。

元々ラヴクラフトが、人間的な情念ではなくもっと圧倒的な「宇宙的恐怖」と呼ばれる恐怖を題材としたホラー小説群を起点とした物語群なので、「這い寄る混沌」や「名状しがたいもの」など、いかにもオカルト好きのしそうなニッチな匂いのするものなのだが、最近ではその認知度から「世界の神話」として下のような一般向けの本にも載っていたりする。*5

f:id:norikuttenorinori:20171203233915p:plain

(実家にあった本。割と他のFateの元ネタも知れるので読み直すと楽しいのでオススメ)

まあ、何も知らないままで読むとギリシャ神話とかエジプト神話とか数千年の歴史満載で人間臭いエピソードに満ちた神々の中で、いきなり高々2世紀の、しかも意味のわからない神々が出てくるので忌避してしまったりもするのだが。 

 

さて、そんなクトゥルフ神話だが、今回の「セイレム」で最も重要となるのはその始まりであるラヴクラフトの著作だと言えるだろう。正直に告解すれば、セイレムの2日目に「これはクトゥルフの元ネタを知らねばならんな」と勢いで買ってちょっと読んだだけなので偉そうなことは何も言えないのだが、それでも断言できるほど「元ネタ」としての色が濃かったのでここに挙げておく。

とりあえずは創元推理文庫ラヴクラフト全集5巻を読んだのだが、セイレムから入るならばこれから読んで間違いないと思った。理由としては、キーパーソンであるラヴィニアが出てくる「ダニッチの怪」、セイレムを元にした架空の街「アーカム」が舞台となる「魔女の家の夢」。

f:id:norikuttenorinori:20171204001154j:plain

(ラヴクラフト全集の表紙。こわい)

さらにセイレムを最後までプレイした上で読むのには、6巻が良さそうだ。本編にもアビゲイルの叔父として登場するランドルフ・カーターが描かれた作品が数多く収録されており、特に「銀の鍵の門を超えて」と「未知なるカダスを夢に求めて」は本編のラストを知る上で読んでいるのと読んでいないのとでは大きな隔たりが生まれるものと思われる。

 

まだ他の巻を読んでいない上での発言なので性急ではあるが、上に挙げた2冊はセイレムのプレイ前後で読むと面白さが非常に上積みされるのでぜひ読んでもらいたい。

物語単体としては、いかんせんそこそこ古い海外小説であり、訳も古い上に曖昧な恐怖について語る物語の特性上正直読みやすいものとは言い難い。しかし、恐怖の描き方というか、神話的生物の仄めかすような登場の仕方や、SF的とホラー的の中間のような不可思議な現象の数々は読んで十分にワクワクさせてくれるものなので、物語は選ぶが単純に面白く読むことができる作品も多いと感じられる。特に、「ダニッチの怪」あたりは不気味な青年、図書館の魔道書、村を襲う大規模な怪奇現象と、これでもかというくらいファンタジックにかつホラーに仕上がっていてお勧めできる一品だった。

 

 

セイレムの中身自体については次に回そう。

(続き ↓)

 

 

norikuttenorinori.hatenablog.com

 

屍人の館と青い薔薇

本の感想と紹介。

 

いずれも東京創元社から最近出たミステリー、「屍人荘の殺人」(今村昌弘)と「ブルーローズは眠らない」(市川憂人)の2作品。特に屍人荘は普段ミステリーを読まない人にも読んでもらいたい一品だった。

 

 「屍人荘の殺人」(今村昌弘)

f:id:norikuttenorinori:20171119235254j:plain

まずは屍人荘から。この小説は、東京創元社のミステリー新人賞である鮎川哲也賞を今年受賞して刊行されたものだ。「史上稀に見る激戦の選考を圧倒的評価で制した」などと銘打たれていたりするが、実際そこから得られる期待を全く裏切らない面白さに満ちていた。

出版社の方でも力を入れて宣伝しているようで、東京創元社ツイッターアカウントをフォローしているとよく宣伝しているし、またよく感想ツイートをリツイートしている(正直ちょっと頻度が高すぎてキツいのは内緒だ)

 

この「屍人荘」、タイトル通りの「館もの」で、トリックなどがかなりきちんとしており、フーダニット、ハウダニットホワイダニット*1、いずれの面から見ても良質な「本格」の素養を備えているのだが、この小説が特別に面白いと絶賛される理由は「◯◯◯」を状況に取り入れたことにある。

◯◯◯については、いろんなレビューでみんな頑張って伏字にしているので倣って伏字にしてみたが、実際のところタイトルでわかると思うし、また割と序盤で唐突に導入されるのであえて普通に述べてしまおう。

 

「屍人荘」はタイトルの通り、ゾンビだらけの山荘なのでである。大学のハズレものであるミステリ愛好会に所属する主人公たちが映画研究部の撮影合宿に便乗して、映研OB所有の山荘に行くことになる。この段階ミステリーの代表選手、クローズドサークル界の顔たる「閉ざされた山荘」が出来上がるいつものタイトル通りのパターンだな、なんて気持ちがわいてくるわけだが、その作り方が一味違う。

「山道が土砂崩れで塞がれて・・・」

「雪がひどくて・・・」

などという使い古された理由ではないのだ。

ゾンビの群れに囲まれて

というとんでもないクローズドサークルなのである。

山荘の周辺で人をゾンビ化させるウィルスがばら撒かれ、主人公たちの館はゾンビの大群に囲まれて孤立するという筋書きだ。この孤立した山荘内で例のごとく起こる連続殺人について推理が行われる。

 

設定だけ聞くとバカミスっぽく思えるのだが、「屍人荘」の凄いところは、この状況をきちんとロジックに取り入れているところにある。

  • ゾンビには感染性があり、噛まれた人間は数時間後にゾンビ化する。
  • ゾンビ化した人間は運動能力が低下し、また思考能力は失われてただ生きた人間を襲うだけになる。
  • ゾンビ達は生きた人間を感知することができる。

などゾンビの行動条件が明確にルールとして設定されており、殺人事件の謎に対して制約がかかる。

また、館もののお約束である館内見取り図も完備しているのだが、この話では、ゾンビ達の侵攻によってこの山荘内の行動可能範囲が徐々に狭まって行く。これにより登場人物の行動がワンパターンではなくなり、非常に謎を面白く深めてくれるのだ。

これらの条件を駆使して整然と解決する様は爽快であり、ギミックの面白さを感じるのに足るだけの納得を与えてくれた。

 

このように本格ミステリに対して別ジャンル的な制約を取り込むことにより展開を深めた例として、読後にはアイザック・アシモフの「鋼鉄都市」や米澤穂信の「折れた竜骨」が思い浮かんだ。前者はミステリに対してSFによる条件 (有名な「ロボット三原則*2」) を、後者はファンタジー的な条件 (魔法・化け物が存在する) をきちんと取り込んで作られた作品であり、どちらも非常に気に入っている。

同じような感覚を抱く人は多いようで、自分が読んだ後ぐらいにちょうどメタルギア小島監督も読んでこんなつぶやきをしていた。

 

「屍人荘」についてさらなる魅力を言えば、パニックホラー的面白さが挙げられるだろう。的というか、ゾンビなのでパニックホラーそのものである。

知人がゾンビとなって襲ってくる恐怖。生き延びるために対抗策を練るサバイバル感、突然の侵入に対して必死にゾンビを撃退するパニック感。まさにバイオハザードといった盛り上がりを見せてくれる。

 

いや、正直に言えばホラーとしての展開にはやや荒は目立つかもしれない。ゾンビが生まれた経緯は思わせぶりな割にかなり雑に回収される伏線があるだけだし、前代未聞のゾンビの行動に対して無駄に的確な知識を出してくるご都合主義なオタク君がいたりもする。

しかし、それを忘れさせてくれるほどの盛り上がりを見せてくれるため、絶対に読んで損はしないと思うし、普段ミステリーを読まない人にも是非お勧めしたい一冊だった。

 

 

「ブルーローズは眠らない」(市川憂人)

 

f:id:norikuttenorinori:20171120000518j:plain

続いては「ブルーローズは眠らない」。前述の「屍人荘」は今年の鮎川哲也賞受賞作だが、この「ブルーローズ」の市川憂人は昨年「ジェリーフィッシュは凍らない」で同賞を受賞しており、これはその受賞後第1作となる。

タイトルの雰囲気からも伝わる通り、「ジェリーフィッシュ」の続編であり、探偵役のキャラクターたちも続投しているのでぜひそちらから読んでもらいたいところではあるのだが、事件自体は完全に独立しているので「ブルーローズ」から読んでも問題はないと思う。どちらも物語は1980年代のものであるが、時代を超えた科学技術の開発に端を発する物語となっており、各々の作中で描写される研究者たちは重要な役割を占めており、またその描写も非常に面白い。

 

物語の焦点となるのは「青いバラ」である。

本来バラは青い色素を生成できず、また人工的に青を生成する機構を組み入れてもその色を阻害する機構を多数持っているため青いバラの生成は非常に困難だそうだ。実際、青いバラができたのは2000年代に入ってからであり、その色はやはり青紫に近く、純粋な青とはいかないようである。この物語は1980年代の話となるのでその時代には青いバラは不可能の代表と言って代物である。

(参考 : Wikipedia:青いバラ (サントリーフラワーズ) )

片方は遺伝子工学の教授。彼は遺伝子操作により直接的に生物の器質を操作する研究の一環として、バラを研究して青色の発現機構を創成した。これは現実に存在する青いバラの研究で行われた手法のようだ。

もう一方はバラの栽培を趣味とする一介の街の牧師。彼は趣味の一環でバラ同士の掛け合わせなども行っており、その結果として生まれた青いバラで、いわば古来からの「品種改良」の手法で作られたバラである。

この二つのバラをめぐって起こる殺人事件が今回のテーマだ。

 

殺人方法自体も魅力的な密室事件 (例によって見取り図がある) であり、面白いのだが、この物語で一番面白いのは二重の視点で語られ、交錯していく二つの物語である点だろう。

一方の視点は前作から続投の探偵役、警察の鼻つまみ者、ダメなキャリアウーマン感満載のマリアと、黒髪眼鏡の嫌味眼鏡レンの二人組からのもの。彼らが依頼を受けて「青いバラ」の制作者たちの調査をしていく。

もう一方は博士の子供、アルビノのアイリスと、そこに転がり込んだ少年エリックによる視点。博士の家で起こる不審な出来事について見ていく視点から、博士の研究とその回りの出来事について語られていく。

物語の終盤、この二つの視点が交わって一気に話が走り出し、多くの謎が一気に解けていく様は非常に読んでいて楽しいものだった。

 

また「遺伝子操作」「品種改良」やそれを示唆するような「色素」に関する話題が物語中に散りばめられており、研究の怪しげな魅力を引き立てているのも魅力の一つだろう。先に述べた通りこのシリーズは先進的な研究(時代設定が昔なので雰囲気自体はレトロだが) の描写が面白い点であり、今作においても博士による青いバラの発現メカニズムの解説は非常に面白く、説得力のあるものだ。しかし、それと同時にその研究を物語に絡めることでより一層物語の不穏さを増すことに成功しているのが非常にうまい点だと思う。

f:id:norikuttenorinori:20171120010115p:plain

(参考文献に普通の論文が入っていたりする。今度見てみようかな)

SFチックな話が好きな人には非常にお勧めの一冊だと言えるだろう。

 

 

以上2作品、連続して読んだがいずれも非常に読み応えがあり、一気読み必至の面白さだった。ぜひみなさん読んでみてくださいね。

 

 

*1:「誰が(犯人当て)」「どうやって(方法当て)」「なぜ(動機当て)」というミステリーの基本的な謎の作り方

*2:

アシモフの世界観におけるロボットに対する法律。

  1. ロボットは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。
  2. ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第一条に反する命令はこの限りではない。
  3. ロボットは自らの存在を護らなくてはならない。ただしそれは第一条,第二条に違反しない場合に限る。

(「われはロボット」より)